高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月26日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
三重県三重郡菰野町出身。水谷貞雄監督率いる四日市高校では巽一、島田光二の1年後輩になる。1955年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岐阜高を降し優勝。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜き、三岐大会決勝で岐阜商の清沢忠彦に投げ勝って夏の甲子園への出場を決める。大会では準々決勝で西岡清吉、土居章助のいた城東高に完封勝利、準決勝では優勝候補の中京商を破る。決勝は坂出商の岡崎秀智(中大-電電関東)に投げ勝ち4-1で初優勝を飾る。8月には全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝で立命館高の富永格郎を打ち崩し、決勝は浜中祥和のいた若狭高との接戦を4-3で制しまたも初優勝。
1956年に読売ジャイアンツへ入団。2年目の1957年に一軍に上がり最終戦に先発。中日の大矢根博臣と投げ合うが5回に失点し降板、敗戦投手となる。その後は野手転向、1960年には7試合に出場するが同年限りで引退。
引退後は球団に残り初代スコアラーとしてチームを支えた。
詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
- 25 (1956年)
- 17 (1956年)
- 32 (1956年 - 1960年)
脚注
関連項目
- 三重県出身の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 高橋正勝 - NPB.jp 日本野球機構




