堅田(かたた)は、日本海軍の砲艦。勢多型砲艦の4番艦である。
歴史
1922年11月、播磨造船所においてに完成。それを解体し上海に輸送、東華造船会社で組立てを行い、1923年10月20日に竣工、二等砲艦に類別された。
1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の第一次上海事変において、上海や長江方面の警備に従事した。1937年7月から開始した支那事変において、上海陸上作戦の支援、長江遡行作戦に加わった。
1941年12月、太平洋戦争が勃発。堅田は揚子江部隊に加わって活動したり、漢口から上海までを往来して警備任務についていた。1942年5月から9月の間、浙贛作戦に参加。堅田は他の砲艦2隻、特設砲艇4隻と組んで洞庭湖部隊として、陸軍部隊の作戦に呼応して湖内に進入し、敵拠点に砲撃を加えた。
1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。1945年4月2日、九江で米空軍機の攻撃を受け大破着底し、その後引揚げられ、終戦時には上海で曳航された状態であった。1947年5月3日に除籍された。
艦長
- 艤装員長
- 土居政道 少佐:1923年1月20日 - 1923年10月20日
- 艦長
- 土居政道 少佐:1923年10月20日 - 1924年2月5日
- 須賀彦次郎 少佐:1924年2月5日 - 1924年6月21日
- 後藤英次 少佐:1924年6月21日 - 1924年7月15日
- 樋口通達 少佐:1924年7月15日 - 1925年12月1日
- 加藤正 少佐:1925年12月1日 - 1927年6月1日
- 浜屋七平 少佐:1927年6月1日 - 1928年5月10日
- 須賀彦次郎 少佐:1928年5月10日 - 1930年1月15日
- 伊藤賢三 少佐:1930年1月15日 - 1932年1月28日
- 木村昌福 少佐:1932年1月28日 - 1932年9月20日
- 松良考行 中佐:1932年9月20日 - 1933年11月15日
- 古賀善吾 中佐:1933年11月15日 - 1934年11月15日
- 鎌田正一 中佐:1934年11月15日 - 1936年12月1日
- 川瀬薫 少佐:1936年12月1日 - 1937年11月15日
- 藤谷安宅 中佐:1937年11月15日 - 1938年12月1日
- 斎藤泰蔵 中佐:1938年12月1日 - 1940年4月15日
- 多田野佐七郎 中佐:1940年4月15日 - 1940年10月1日
- 山本政治 少佐:1940年10月1日 - 1941年9月10日
- 松崎辰治 少佐:1941年9月10日 -
同型艦
- 勢多 - 比良 - 保津 - 堅田
脚注
参考資料
- 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦』ダイヤモンド社、2005年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- アジア歴史資料センター(公式)
- レファレンスコード:C12070078300 海軍大臣達『2月』 (大正10年2月)
関連項目
- 大日本帝国海軍艦艇一覧




