諏訪 利成(すわ としなり、1977年(昭和52年)1月29日 - )は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)元選手・現指導者である。群馬県佐波郡東村(現伊勢崎市)出身。身長178センチメートル、体重58キログラム。
主な実績に、2004年アテネオリンピック6位入賞、2007年世界陸上大阪大会7位入賞(共に男子マラソン)。
経歴
- 桐生工業高校在籍時は北関東大会止まりの選手であったが、東海大学進学後に頭角をあらわす。
- 箱根駅伝では東海大学のエースとして、「花の2区」を任される。
- 日清食品に入社後、長距離走・マラソンを主に本格的に取り組み始める。
- 2001年4月の長野オリンピック記念長野マラソンが初マラソン、日本男子トップの2位でゴール。
- 2003年12月の福岡国際マラソンにおいては、下馬評の高かった日本記録保持者の高岡寿成を破り、優勝した国近友昭に次ぐ3秒の差で、2時間7分55秒の自己ベストタイム(現在男子マラソン日本歴代9位の記録)で2位に入る。翌2004年8月開催の、アテネオリンピック・男子マラソンには、最後の3番目での代表にすべり込んだ。
- そのアテネ五輪男子マラソン本番では手堅いレースを展開し、メダル獲得はならなかったものの6位入賞(油谷繁が日本男子最高の5位入賞、国近は42位で入賞ならず)。
- 2006年12月の福岡国際マラソンでは、4位の奥谷亘に次いで5位でゴール。翌2007年3月12日、同年8月開催の世界陸上大阪大会・男子マラソン日本代表に決定された。
- 2007年8月25日の、世界陸上大阪大会男子マラソン本番レースでは大きく期待されたものの、レース前から足の爪を剥がし出血するアクシデントに悩まされ、日本人3番目の7位入賞に留まった(ただし男子マラソン団体戦では、世界陸上3大会連続で金メダルを獲得した)。
- 2008年2月17日、第2回東京マラソンに出走したものの、日本人2番手の4位に終わり、2008年8月開催の北京オリンピック・男子マラソン代表選出はならなかった。
- 2011年12月4日、福岡国際マラソンに出場したが、レース前半で早々先頭争いから脱落、2012年8月開催のロンドンオリンピック・男子マラソン代表入りも逃した。
- 2013年4月1日に日清食品選手兼コーチに就任するが、選手としてマラソンを始め公式レースにはほとんど出場しなかった。翌2014年3月限りで事実上第一線からの現役を退き、同年4月からはコーチ業に専念した( - 2018年)。
- 2019年から、日立物流陸上部コーチに就任した( - 2022年4月30日)
- 2022年から、上武大学駅伝部の監督に就任した。
エピソード
2004年限りで伊勢崎市に吸収された東村最初で最後の名誉村民である。
マラソン全成績
活動
- 諏訪利成のフォーム改造講座(ランニングマガジン・クリール)
脚注
外部リンク
- 日清食品グループ陸上競技部 プロフィール 諏訪利成
- 諏訪利成 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑
- 諏訪利成 - Olympedia(英語)
- TBS「世界陸上大阪」最後に笑うイケメン 諏訪利成
- アディダス ランニング共和国 諏訪利成 - ウェイバックマシン(2011年2月4日アーカイブ分)
- 諏訪利成(日清食品) びわ湖の悔しさ、原動力に
- 2013年度体制のお知らせ(日清食品グループ陸上競技部 ブログ・2013年4月1日付)


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