鳴海 信輔(なるみ しんすけ、1912年(明治45年) - 没年不詳)は昭和期の歌手。

経歴

青森県弘前市出身。1912年、弘前市内の百石町の筋にあった呉服屋「久一鳴海」の家に生まれる。 父は鳴海伝次郎。母はヒサ。長兄は鳴海順一郎。

東洋音楽学校卒業後、1942年(昭和17年)デビュー。同年発売した「空の神兵」(梅木三郎作詞、高木東六作曲)が大ヒットする。

翌年、「戦友の遺骨を抱いて」のビクターレコード版を吹き込む(この曲は各社競作)。戦後は作曲活動などを行う。

戦後、(甥である筆者の父の弁によると)軽薄化していく芸能界に嫌気が差したらしく、表立った音楽活動よりも加藤登紀子やにしきのあきらといった、他の歌手の歌唱指導を主としていた。


鳴海拓志:バーチャルリアリティが現実を変える TEDxKobe 公式サイト

鳴海 信輔 ・管 美沙緒 ♪譽れの産業戦士♪ 1942年 78rpm record. Columbia. Model No. G 241

Amazon.co.jp SP盤レコード ヘ106(B) 波岡惣一郎 藤原亮子 じやがたら文 鳴海信輔 密林の夢 おもちゃ

埼玉懸民歌(鳴海信輔・大谷洌子) YouTube

【aramaki5さん支援】 海の肉弾(雷撃機の歌) 鳴海信輔・太谷冽子 権内 後入音版 YouTube