塚本 毅(つかもと たけし、1896年〈明治29年〉- 1973年〈昭和43年〉12月7日)は昭和期の日本の外交官。

経歴

熊本県玉名郡に生まれる。熊本県立玉名中学校(1916年卒業)を経て、1921年(大正10年)に東京高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業した。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格し、1921年に外務省に入省した。若手の頃から白鳥敏夫らとともに革新派官僚と呼ばれる。

外務省アメリカ局第二課長、スイス公使館書記官、外務省南洋局長心得、拓務省拓南局参与、ハルビン総領事や、スイス公使、外務省通商局勅任事務官、サイゴン公使、仏印総督府総務長官などを経て、1945年(昭和20年)から翌年にかけて最後の仏印大使を務めた。1946年(昭和21年)5月に退官した。

戦後、公職追放を受けた。のち、国際港湾会議準備会事務総長、輸入自動車協会専務理事、日本イスラエル協会理事長。

著書

  • 『少数民族の問題』国際聯盟協会 1924年

訳書

  • フレッド・エチ・アルドリチ著『國際聯盟の法理學的批判』巌松堂書店 1923年

脚注

参考文献

  • 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年。

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